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「太く短く生きる」というフレーズを見るだけで涙が止まらなくなってしまう理由(わけ)

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才能や情熱が有り余る人でも無念にも若くして旅立ってしまう人がいます。また人格が高潔で誰からも慕われている人に限ってその早すぎる生涯を惜しまれながら閉じる人が後を絶ちません。「才子多病」とか「憎まれっ子世に憚る」みたいな言葉があるのもこのことを歴史が裏付けているのではないでしょうか。

 
先日そんなかけがえのないある知人が亡くなりました。関係としては私の最も尊敬する先輩の勤めていた会社の元上司の方で、当時学生だった私も先輩ともどもとても可愛がっていただきました。とてもインパクトのある方で鮮明にその方の面影を思い出すことができます。放蕩の限りを尽くした訳ではないでしょうが、糖尿病で失明もしていて脳梗塞も併発していました。60年という昨今においては本当に短い生涯をこの6月6日に終え、安らかな眠りにつかれました。
 
その訃報のメールを先輩から受けて「ああ本当に残念だなあ」「惜しい人を亡くしたなあ」と思いながら読み進めていて、ある一文を目にしたところで自分でもびっくりするくらい涙が止まらなくなってしまいました。スマホの画面に嘘でなく涙の粒が二つ三つと落ちていったのです。
 
そのメールの一文とは、
 

(先輩からのメール)

奥様曰く、「主人の座右の銘は太く短く生きる」だったそうです。

 

というくだりです。ちょっと大袈裟ですがメールを読みながらこんなに号泣したのは多分初めてだと思います。特別な言い回しでもなんでもないですし、家族とか大親友とかとの別れというわけでもないのですが、その方の生前の生き様が頭の中で走馬灯のように蘇ってきて涙が止まりませんでした。そんな太く短く生きようとしたその方の生き様を、私と私の先輩の記憶を辿って少し紹介することでご冥福をお祈りしたいと思います。
 

 

◆とにかく仕事ができた

  • 英語が堪能だった
  • 会社のお金で何度も海外視察(と称する遊び)に行っていた
 

◆とにかく渋くて男前だった

  • 大仁田厚に似ていて渋かった
  • なんとも言えないクシャクシャの笑顔がカッコよかった
 

◆とにかくフラットだった

  • 学生だった私を大人として認めてくれ敬語で接してくれた
  • 上司にゴマすりしてるのを見たことなかった
 

◆とにかくお洒落だった

  • 同じスーツやネクタイをしているのを見たことがなかった
  • いつもワイシャツにシワひとつなかった
 

◆とにかく博打が好きだった

  • よくマージャンを朝まで付き合わされた
  • 気持ちよく負けを笑って払ってくれた
 

◆とにかく愛煙家だった

  • 文字通りチェーンスモーカーだった
  • 常にノーマルとメンソールの二種類持っていて吸い分けていた
 

◆とにかく酒豪だった

  • マージャンをやりながらでもいつもビールを飲んでいた
  • BARで水割りを傾けている姿が今で言う「ちょいワル」だった
 

◆とにかく美食家だった

  • 美味しいお店を無尽蔵に知っていた
  • 20年後の今でも私達はその店に通わせてもらっている
 

◆とにかく優しかった

  • 家族を大事にしていた
  • 年下というだけで誰でも彼でも可愛がった
 

◆とにかく粋だった

  • 見栄っ張りだった
  • 物事に動じない胆力が半端なかった
 

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もっともっと伝えたいことはあるのですが私の拙い表現力ではこの辺で限界です。私の先輩の表現を借りると、「とにかく自分のやりたいことを優先しているひとだったなあ...やれそうでやれない、でも男としてはやってみたい生き方だった」でした。皆さんの周りのもこんなカッコいい「昭和の男」がひとり、ふたりはいる(いた?)のではないでしょうか。先日この下の記事でも書きましたが私の父親も共通点というかちょっと近いものがありました。
 
もしかしたらその方の死を太く短く生きた私の父親にダブらせて涙してしまったのかもしれません。(涙の理由)
↓↓↓
その方のイメージを著名人で言えば最近の大人の男の代表格と言われている伊集院静さんとかがちょっと近いかもしれないです。(そういえば伊集院さんの奥様の夏目雅子さんも太く短い生涯でしたね。伊集院さんは夏目さんの看病のため仕事を一度すべてやめたそうです。カッコいいですよね。)

 

大人の流儀

大人の流儀

 

  

顔は伊集院静さんでなく大仁田厚さんそっくりですが、あのなんとも言えない「有刺鉄線電流爆破マッチ」の時に見せていた味のある苦み走った笑顔が脳裏に焼き付いて忘れらません。本当に色々教えていただいてありがとうございました。重ねてご冥福をお祈りいたします。

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最後になりましたが、有名人の中にも惜しまれながら太く短い生涯を終えた人はたくさんいらっしゃいます。その中で私がその著書を読んで号泣した有名人は金子哲雄さんです。金子哲雄さんは今日の主役の私の知人の生き様とは少し趣きが違いますが、2012年に肺がんの一種である肺カルチノイドを患い41歳という早すぎる生涯を終えました。病気のことを家族や一部の関係者にしか伝えず、最後まで全力で気丈に仕事を続けたという話はあまりにも有名です。そこで金子哲雄さんが自分のお通夜に用意した手紙を引用させていただいてて今日の記事を締めくくります。
 
合掌...
 
僕の死に方 エンディングダイアリー500日 (小学館文庫)

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【急逝】金子哲雄さんが自分の通夜に用意した手紙

以下その会葬御礼状の全文です。

 

手紙全文

このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。

 

もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。

 

今回、ご縁がありまして東京タワーの足元、心光院さまが次の拠点となりました。「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出していただけましたら幸いです。

このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。

 

急ぎ、書面にて御礼まで。

 

平成24年10月1日

 

流通ジャーナリスト 金子哲雄